
バセドウ病歴20年以上。
多種多様な自覚症状に悩まされ、一大決心で受診した病院でバセドウ病と診断。内服治療を実施中です。

バセドウ病の悪化を理由に、新卒で入社した病院を1年で退職。療養と言う名の無職期間も一筋縄では行かず……。
終わりの見えない闘いに終止符を打つ日はやってくるのか!?
スポンサーリンク母、倒れる
甲状腺機能低下症の症状はあるものの、無職のためのんびりと日々を過ごしていました。特に何をするわけでもなく、ほぼ引きこもり。
出かける先は失業保険をもらうため、ハローワークで就職先を探すフリをする程度。
そんな平日の昼時、突如パートに行っていた母からのSOS。
SOSの内容は、職場で意識を失って倒れた。すぐに気が付いたんだけど、迎えに来てほしい、と。
すぐに病院にと思いきや『病院は明日行くから、家に帰る』の一点張り。仕方なく自宅へ。その時の症状は、吐き気・嘔吐、微熱。
母のパート先は工場で、夏は室温も湿度もかなりあるようだったので、軽い熱中症かと思われました。とりあえず、扇風機・アイスノンなどで身体を冷やしつつ、水分を補給。翌日、約束通り病院へ。
検査の結果、はじめは「多発性筋炎」との診断でしたが、後日「心筋梗塞」との診断が下り、入院⇒手術という運びとなりました。
母、入院する
入院してから詳しい検査。結果、心筋梗塞との確定診断が下り、手術(冠動脈バイパス術)を受けることに。ですが、その術前検査で乳がん発見!
まさに、晴天の霹靂、泣きっ面にハチといったところでしょうか。
立て続けに病気が発覚し、家族全員でガッツリ凹みましたが、倒れて病院に行くキッカケが出来たことで、手遅れになる前に乳がんも発見できたので、ある意味では幸運だったのかな、と思うことにしました。
心臓のバイパス術、乳房切除術、抗がん剤治療。途中、一時帰宅などもありましたが、約半年ほどの入院生活でした。

甲状腺ホルモン値再上昇
甲状腺ホルモンが低値を示すようになってから半年。母の2度の手術も無事成功し、残るは抗がん剤治療のみとなったころ、凸なべの自覚症状に変化が!
甲状腺ホルモン値が低値になってから低めだった体温が、常に37.5℃付近に上昇し、脈拍数や血圧も上昇。ですが、慣れない家事と母の手術等に対する不安などからくる症状なのかと思っていました。
凸なべは一度も一人暮らしの経験がなく、家事もほとんどやったことがありませんでした。しかし、変な所で完璧主義者なので『どうせご飯を作るなら美味しいモノじゃなきゃダメだ!』『掃除もちゃんとやらないと!』という謎のスイッチがONに。
普段、料理はほぼノータッチ、掃除も自分の部屋に軽く掃除機をかけるくらい。慣れない家事をするのは、相当な時間がかかります。しかも、変なスイッチがONになっているので手を抜けず、普段凸なべ家ではお目見えしない手の込んだ料理を作ってみたり、大掃除!?っていうくらいの掃除をしてみたり。
慣れないから効率が悪いうえに、融通も利かない!冷静に考えれば、何してんだかって思えるんですけど、いろいろテンパって思考が追い付いていなかったんでしょうね~。
そんな中、安くて良い食材を求めて自転車で片道30分の直売所風のお店に向かって激走していたときのこと。途中で猛烈な息切れと吐き気に襲われます。少し止まって呼吸を整えようとしても酸素が取り込めていないような感覚。そして、脈拍は170台。
この感覚には覚えがありました。バセドウ病の診断を受ける前、学校で長距離走をしていた時のような感じだと。定期受診日は2週間ほど先の予定でしたが、念のため早めに受診。


なにがキッカケで上昇したかは不明ですが、ストレスとかが影響したのかな?気合いを入れて家事に励んでいた本体(凸なべ)につられて、甲状腺も気合いを入れて働き出したのでしょうか?
前回、検査を受けたときは低値を示していた甲状腺ホルモン。そこから、約2か月半での急上昇。凸なべ史上、最高の上昇率でしたね~。
ここから、メルカゾールは1日3錠(15mg)へ増量することになりました。

母、退院する
外来での抗がん剤治療は続くものの、母が無事に退院。大きな手術を立て続けに2回も受けたとは思えないほど元気いっぱい。
メルカゾールを1日3錠(15mg)に増量していた凸なべは、2ヶ月ほどで甲状腺ホルモン値が正常範囲内へと下降し、症状も落ち着いていました。
甲状腺ホルモン値が正常範囲内に入ったころ、凸なべの無職期間はすでに1年近くになっていました。