
バセドウ病歴20年以上。
多種多様な自覚症状に悩まされ、一大決心で受診した病院でバセドウ病と診断。内服治療を実施中です。

内服での治療を続け、約2年半の落ち着きから一転、急激に上昇した甲状腺ホルモン値。凸なべの甲状腺は、なんて元気なのでしょう……。
バセドウ病とは長い付き合いですが、悪化するキッカケが掴み切れないまま今に至ります。
環境が変わった、明らかにストレスが増えたとかならわかるのですが、まったくいつも通りと思っていても急上昇したりすることもあったので、謎ですね~。
バセドウ病の服薬治療に必要なのは辛抱強さ
約2年半、正常値を保っていた甲状腺が服薬ミス(飲み忘れ等々)により、大噴火!
元の活発な状態に戻ってしまったので、メルカゾールの1日量を再度6錠(30mg)へ増量。増量すると、相変わらず素直に下がってくれます。



初めての病院チェンジ
治療開始4年目。甲状腺ホルモン値はふたたび落ち着きを取り戻し、メルカゾールの1日量も3錠まで減量になったころ、通院先の病院を変えることに。
治療開始からお世話になっていた病院は、毎週木曜日のPMしか甲状腺外来がないため、学校を早退して通院していたのですが、凸なべはこの年、看護学校に進学。
看護学校は1科目の単位数が極端に少ないため、休むと致命傷(留年)になりかねない。しかも学校が遠かったので、今の病院に通うには、午後は完全に休まなくてはならないことになるため、卒業まで学校近くの病院に通院することにしたのです。
治療の進め方に大きな違いはありませんでしたが、この病院では採血したその日のうちに血液検査の結果が出ていたので、診察日に服薬量の調整まで終えて帰宅。
そのため、結果が出るまで採血から1時間以上待つことになるので、採血だけ授業の合間に行き、結果は授業が終わってから聞きに行くという手順で通院していました。
それでも、通学時間が2時間程度かかっていたので、受診日の帰宅時間は21時近くになっていました。
UPDOWNの激しい3年間
看護学校に通っていた3年間、凸なべの甲状腺ホルモン値は、激しいUPDOWNを繰り返しました。
今までは上昇しても、メルカゾールを増量すればすぐに下がっていました。しかし、メルカゾールを増量してもなかなか下がらなかったり、安定していると思って減量するとすぐに上昇してしまったりと、とにかく落ち着かなかったです。
また、このころ母もバセドウ病と診断されました。凸なべと似たような症状が出たため、病院を受診したところバセドウ病だと。
バセドウ病に遺伝的要因があるかはハッキリしていないようですが、自己免疫疾患で同じ家系に多く見られる傾向はあるようです。
母もメルカゾールの内服治療を始めましたが、副作用で蕁麻疹が出たためプロパジールに変更。母は凸なべと違って順調に軽快し、約1年の内服治療で完治(完全寛解)しました。それ以降、再発することもなく過ごしております。

バセドウ病が悪化する要因
バセドウ病は治療中でも、たとえ同じ量の薬を飲んでいても急に悪化することもある病気です。
その悪化する要因としては、以下のようなものが関連すると言われています。
- ストレス
- 喫煙
- 睡眠不足
- 出産
- 花粉症
- ヨード
上記の要因のうち、凸なべが思い当たるものは3つ。
ストレス・睡眠不足
ストレスは感じない人の方が少ないと思いますが、凸なべにとって看護学校・臨地実習は地獄でしたので、間違いなくストレスは増大していたと思います。
また、睡眠不足も看護学校では避けて通れないものだと思います。凸なべは要領も良くないので尚更でしょう。
花粉症
凸なべは、もともとアレルギー性鼻炎があり、季節の変わり目とかには鼻の調子が悪くなっていたのですが、花粉症ではありませんでした。
しかし、進学により通学していた看護学校は自宅よりもさらに田舎、もとい広大な自然と共存していたので、通学経路に物凄いシラカバ並木(シラカバの森?)があったのです。
入学した年は大丈夫でした。ですが、2年目の春。凸なべの中のシラカバ量が閾値を超えたようで、北海道特有ともいわれるシラカバ花粉症を発症しました。
おそらく、このようなことが要因となって甲状腺に影響を与え、ホルモン値が全く落ち着かない状態になってしまったことが考えられます。
